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kaminshijimi

男性

台東区・中央区あたりが活動拠点。いい加減な糖質制限をしながらラーメンも食すことを目指す。

平均点 82.429点
最終レビュー日 2019年8月5日
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「チャーシュー麺+味玉+九条ネギ」@らーめん かつお拳の写真近くの老舗蕎麦屋に行こうと思って歩いていたが、ラ好きの先達Co氏がここを激賞していたのをふと思い出したので、気が変わってこちらに。初めての訪問。

 鰹が効いたスープには多めのネギが合うだろうと思い九条ネギをトッピングに追加。しかし、これが大誤算。刻みネギがパサパサになって硬い。スープにしばらく浸しても異物感は解消しない。おそらく刻んだ状態で冷蔵庫に保存したためと思われるが、立ち食い蕎麦屋でも、こういうものを提供されたことはないように思う。

 店主であろうか、作り手の男性はマスクをしていて、体調が思わしくないのがはっきり伝わってくる。ときおり聞こえてくる不吉な呼吸音は、何か風邪以外の体調の悪さを思わせた。店側の人間があまりに元気良すぎてうるさく感じられるのも問題だが、作り手の健康面の不調がもろに伝わってくるのは、さらに問題である。そんな中で、まるで何事もないかのように、そういう人が作った一品を賞味するのは難しい。ひょっとしたら、あのネギの保存の悪さも、この体調の悪さと関係するのかもしれない。そういう意味で、今回の訪問はタイミングが悪かっただけなのかもしれない。また来ることがあれば、まったく違った結果になるかもしれない。しかし、また来ることがあるだろうか? たかがラーメンではあるが、ラーメンを提供することも食することも一期一会の経験であるはずである。私にとって、今回は、あまりに残念な一会であった。

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「チャーシュー麺」@来集軒の写真「流行を追わない、かつ、本格的なチャーシュー」を求めて、今回は、私の地元浅草の来集軒へ。

 この企画を思いついたとき、最初にリストアップした店に来集軒は入っていなかった。実は、来集軒では大変不快な経験をしたことがあったので、10年ほど行っていなかったのである。

 その昔、来集軒には「浅茅が原の鬼婆」のような老女が接客をしていた。その鬼婆は、客を客とは思わないような接客で結構有名であった(ここでその接客ぶりを記す気にはなれない。気になる人は、関連ありそうな単語で検索すると、その接客の犠牲になった人々の感想の文章を読むことができるので、調べてみてください)。私も一度行って懲りてしまった。前回感想を書いた「神名備」が客にとっての天国であるとするならば、鬼婆のいる来集軒は地獄のようなものであった。来集軒が、老舗であるにもかかわらず、名店として扱われることが少ない(と思うのだが)のは、そういう事情が関係している、と私は思っている。

 しかし、最近の口コミをいくつか読むと接客についての言及はない。さては、さすがの鬼婆も引退したのか? そう考えると、再訪する気持ちが芽生えてきた。あのひどい接客にもかかわず、ラーメンの味については好ましい記憶が残っていたからである。あの(たぶん、60年以上何も変わらなかった)古典的と言えるラーメンを思い返し、もう一度食べてみたいという気持ちが強くなった(もっとも、こういう記憶は、不正確である場合もある。先日、再開した銀座の共楽で久しぶりに食べたが、「あれ、こんな味だったっけ!?」と少しびっくりした、どこに問題があるのだろう? たまたま? 私の記憶がおかしいだけ? )。 


 …というわけで、正午きっかりに入店する。すでに何組かが席についていた。接客は結構な年齢の女性であったが、あの鬼婆でないことに安堵する。しかも接客は普通。「何にしますか」とか「ありがとうございます」といった普通の言葉を発するではないか! しかし、それ以外は、見たところ何も変わってはいなかった。内装も10年前と変わりないだろう。リノベのようなことは考えもしないのだろう、それはそれで潔いなあと感じさせる。テーブルも椅子も、椅子に載っているくたびれたクッションも10年前と同じような気がする。一度築いたものは、てこでも変えないのがここの不文律なのだろう。十年一日という言葉が文字通り当てはまる。メインの作り手は代替わりで変わったようだが、出てきたチャーシュー麺も、やはり、10年前と変わりないものだった(それどころか、昭和27年の創業当時から変っていない、と言うべきかもしれない)。私は、恩讐を超えて、久しぶりの再会を純粋に喜びたい気持ちになってしまった。見よ、この古典的な相貌を。とくに、この分厚いチャーシューを。そこには、時代に媚びないどっしりした存在感がある。ホロホロ崩れるほど柔らかくはないが、硬いという程でもない。昔はみんなこうだった。それをワシワシと噛みしめると、子供の頃に店でラーメンを食べたときにタイムスリップしたような気分になる。子供時分の私にとって、ラーメンの華は味の染みたチャーシューだった。チャーシューをいつ口に入れようかと思案しながら食べたものだ。それを口に入れるときの嬉しさ、それがもうなくなってしまうことの残念な気持ち、それらがない交ぜになった複雑な感情。私は、昔チャーシューを頬張ったときの純粋な気持ちが蘇ってくるような時間を過ごすことができた。


 嫌な記憶を振り払って入店したのは正解だった。ここでは、時間の篩(ふるい)にかけられて残ったものだけがもつ、逃げも隠れもしない正々堂々とした味を体験することができる。

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